鉱山・製錬会社として創業した当社は、近代化に伴う経済発展を非鉄金属の分野で支えてきました。その後も、培ってきた技術と経験が活きる新たな事業分野へ展開し、成長を続けています。
当社は1884年に政府から当時日本一の銀山であった小坂鉱山の払い下げを受け創業しました。創業後十数年で銀鉱石の枯渇と銀価格暴落による経営危機に陥ったものの、銀鉱床の下部に大量に存在していた「黒鉱」(複雑硫化鉱)の製錬技術の開発に成功し、小坂鉱山を銅山として蘇らせることができました。
その後、二度にわたる世界大戦や戦後の復興需要などを経て、当社は鉱山事業を中心に拡大していきました。しかし、1985年のプラザ合意を受けて円高が急激に進展したことから、非鉄金属の国内取引価格が大幅に下落し、主力であった鉱山事業の採算も大幅に悪化。これにより、鉱山事業を中心とするビジネスモデルからの転換を迫られることとなりました。
鉱山事業の終焉を受け、1990年からは事業の多角化を推進しました。その結果、現在に至る事業の礎が形作られたものの、利益水準を大幅に改善する効果までは得られませんでした。この状況を受け、2000年から収益構造の改革、資産構造の改革、有利子負債の削減などを柱とする「事業構造改革」を断行し、長期間にわたり事業競争力を発揮できる、5つのコア事業(環境・リサイクル部門、製錬部門、電子材料部門、金属加工部門、熱処理部門)へ経営資源を集中させました。
現在は、5つのコア事業による循環型ビジネスモデルを構築し、世界でも類を見ない、廃棄物の適正処理と金属リサイクルを融合した製錬・リサイクル複合コンビナート機能や、高機能な素材や技術・サービスを提供し、数多くのニッチトップ製品を保有するなどの強みを有し、グローバルに事業を展開しています。
DOWAグループは、「中期計画2024」のもと、これからも財務面、非財務面の強化を図ることによる、企業価値のさらなる向上を目指していきます。
DOWAの歴史とサステナビリティ経営の原点
当社の創業者である藤田傳三郎は、明治時代の日本において、鉱山業のほか、建設・鉄道・紡績・電力・新聞などの幅広い事業を手掛け、産業界の発展に貢献した実業家です。
当社の創業地である小坂(秋田県)においては、「教育は国家富強の根源なり」という信念のもと、小学校への多額の寄付を行ったほか、当社の前身である藤田組を通じて、電気の導入、鉄道の敷設、上水道の整備、学校・住宅・病院の建設、劇場や運動施設など娯楽施設の建設など、様々な社会資本の整備を進めました。また、これらの社会資本は、鉱山関係者だけでなく、地域の方々にも提供されました。
DOWAグループのサステナビリティ経営の原点は、創業者藤田傳三郎の理念である“労働者や地域の方々と共生する”という長期的視野に基づく企業経営にあります。
創業者
藤田 {傳}^{でん}三郎
(1841–1912)
鉱山・製錬事業が中核
鉱山事業の終焉に伴い、多角化
5つのコア事業による循環型ビジネスモデルを形成